0517 対酒強度
父親は酒が飲めない。 母親は飲む。
要は二つに一つであった。
そして外した。
酒に弱い。
チューハイ1缶で真っ赤になる。
心臓が一拍打つごとに顔の皮膚が脈打つ。
適量は5%の缶酎ハイひとつ。
6%はダメらしい。フラフラする。
それから、長らく酒にコミュ力を借りられると思っていたが、そんなことはなかった。
普段にも増して言葉が出ない。
大きい声も出ると思ったら出ない。
思考は奔放になるどころか収縮するようだ。
それでも気持ち悪くはないので飲む。
バイト終わり、バスを待ちながら飲む。
仕事の後の一杯は格別、とか心中で唱えながら飲む。
忘れたいこともないのにその日を忘れるような気分で飲む。
こうなりたいほど普段苦しい生活を送っているだろうか。
こうなりたいほど昔から人間は苦しかったのだろうか。
と、バイト帰りのクラクラした頭で打っている。
0516 究極果実
熱や塩分によって力を失い、組織だけ残ったような野菜が好きだ。
例えばキャベツの千切りにウスターソース。
かけてすぐ食うのではない。
体感30秒ほど待ってソースの塩分がキャベツから力を奪うのを待つ。
千切りは細いほどよい。
しなやかで、かつ芯のある組織を噛むたび、ソースが歯の隙間から滲み出る。
ソースはラベルによると果実由来のものだから、もはや果汁と言ってよい。
むしろ構成を考えてブレンドされ、何十年も売れ続けるミックスジュースである。
であればこれは究極の果実である。
ソースになるため抽出された果汁たちが、キャベツという組織を得て再び果実の姿をとっているのだ。
ああ塩辛い。
0515 渾名変遷
違うバイト先の初勤務ですげえ疲れたので簡単な話を。
僕は、自分で名乗るなどしないとなかなか渾名を付けてもらえない。姓はとにかく普通だし、名も中々いじくりづらい。
中学の頃は「中村さん」だった。
周りより点数がよくて、周りより偉そうだったからに違いない。
もう少し言えば高2の夏くらいまで名前を呼んでくれる人すら多くなかったのだが、勉強熱心な土地柄もあり、受験が近づくにつれ「中村さん」は急激に浸透した。
高1の時の担任はこの流れを予言していた。
自分はまんざらでもなかったが親はいい顔をしなかった。
高校の縁の方は「ふぁい」で認識して下さる方が多かろう。
しかし、あれは高校入学時に初めてLINEを触る時にてっきりハンドルネームが要るものと勘違いし、丁度やってた数学Aの集合の用語から良さげなものを引っ張ってきただけである。
Φが中に似ているだとか、中身が空っぽな人間だとか、どの集合にも属していたいだとか、もっともらしい説明をしたことはあったが全部後付けのものだ。
だが自分で付けた点を除けば気に入っているので、直していただく必要は全くない。最近たまに呼ばれたりすると懐かしくて心地よい。
で、大学に来て「ふぁい」からの脱却を試みてファーストネームを名乗ってみた。
結論から言えば表情のカタい人間の提案する呼び方がフレンドリーであればあるほど、なんて呼べばいいかわからなくなるのだ。特に異性。
話していても名前を呼んでくれない人が多いのは、僕の場合名前を覚えてもらっていないのではなく、なんて呼べばいいかわからないのだろう。特に異性。
小学校の頃の渾名を思い返せば小学生の社会の懐がいかに広いかが伺える。
当時坊主だったため「まさお」。
なで肩で首が長く見えたため「きりん」。
そんなものでいい。
渾名をつけてみてください。
0514 質問一考
高校生のとき、近所の学習塾に通っていた僕は山ほどいたチューターに一度も声をかけなかった。
見栄で茶髪にする人間に教えを請いたくなかったのもあるが、「一度聞いたこと」と「調べりゃわかること」を人に聞けないタチなので、なかなか勉強のことで質問に行けない。
大体の問題は授業なんかで「一度聞いたこと」を使って解けるようになっているし、初見の問題はなにせ初見であるためタネがわかれば簡単なものが多く、答えを「調べりゃわかること」が多い。
それらを聞けばニコニコして答えてくれようが内心嫌な顔をされるに決まっている(と信じて疑わなかった)。
他の生徒が質問に行くのを見たことはあるが、僕の質問基準を満たしているとすれば僕には想像できないレベルの勉強をしていることになるし、満たしていないとすればチューターに気軽に質問しろという制度自体に間違いがあると思っていた。
どちらに転んでも僕が下らない質問を持って行く理由にはならない。
浪人を終えて大学に入るまで、終ぞその基準が揺らぐことはなかった。
そして今日、僕は初バイトとしてはかなり充実した8時間のチューター業務をさせて頂いた。
質問を持ってくるのはテスト対策授業で塾に殺到する高校1.2年の子供たち。
当然と言えば当然だが、僕ならとても持ってこなかった質問を奴らは持ってくる。
「これなんて読むんですか。」その胸ポケのスマホは何のためにネットに繋がっている。
「これ解いてください。」投げんな。
「いや、そこまでは書いたんですけど。」そっちを持ってこい。
「国語どうすればいいですか。」広い。
ただ、奴らは可愛い。
断じて質問に来るのが妹のような世代の女の子が多かったからではない。仏頂面の野郎すらも可愛い。先生と呼んでくる割には話しているうちにタメ口を叩く生徒が多かったが可愛い。明後日からのテストで1点でも多くとって1人分でも上に立ってほしい。
教えを請うてくる生徒は可愛いのだ。
AからBへものを教えることは知的財産の分譲であり、Aは赤字だと考えていた僕が馬鹿だった。むしろ癒し効果があると言っていい。そうして師弟関係というのは古来から脈々と繋がってきたのではないだろうかとすら思う。
1年1学期中間などは今後の勉強モチベーションを左右する高校で最も大事なテストだ。僕が一度したような挫折は味わってほしくない。
さて、僕は教授に積極的に教えを請うことができるだろうか。そう考えると、以前はいろいろ理屈をつけて恥ずかしがっていただけのようにも思えてくる。
0513 開設意図
僕は基本的に自分のことを知ってほしい人間である。「隙あらば自分語り」というタームを見るたび心が痛む。
現在のTwitterアカウントは、有難いことに多くの方に見ていただける僕の分身だが、ゴッタゴタである。気分屋だから、明るいツイートも暗いツイートもある。
本名や所属を明らかにする大学生であることを踏まえれば本来なら「あかるい」アカウントにしたいところ。具体的な要素を挙げるなら、楽しそうな画像、何か獲得したことの報告、渾身のネタツイ。そのくらいでよい。
むしろそうなろうと思って大学用にアカウントを作ったのだ。それが今は浪人期までとさほど変わらない運営になってしまっている。400人超のフォロワーのTLに押し付けるには忍びないツイートも多い。
やはりどこかに「Twitterに向かない事柄」の捌け口を作らなければならない。そして長々と不満を言いたくなったり、何曲もおすすめを語りたくなった時にこの媒体は便利である。
いくらでも話せる点もそうだか、気が向いた時だけ中身を知ってもらえるのも良い。
ただ、どれもこれも「知ってほしくて」やることだ。アクセス数が伸びなければ興醒めになってやめてしまうかもしれない。
これはあくまでも試みである。